2023年10月18日水曜日

木曽の棧 (かけはし)

 長野県の県歌の信濃の国にある”木曽の棧”です。

棧とは川を跨ぐ橋ではなく、急に切り立った崖をトラバースするように架けられた桟のような橋のことです。

ここ木曽路の上松地区には木曽川の浸食で深く抉られた渓状となっている所があり、

昔は長い桟橋を造って人々は往来をしていたようです。

今ならトンネル化するのでしょうけど昔のこと、そんな大規模の工事は出来なかったのでしょう。


対岸から眺めると確かに道路(旧の国道19号)も桟橋になっていますね。

尚、橋の下に見られる石垣は1741年(寛保元年)当時のものだそうです。


※ 画像の最後に動画がありますのでご覧下さい。















8 件のコメント:

  1. 木曽の桟は3年前に行きました!木曽路の旅が懐かしい!今日もバッチリの安定した秋晴れ・・、ようやく爽やかで過ごし易い最高の季節がやってきました!残暑が長引いた影響で紅葉も遅れているようですが、これからは爽やかな空気の中で錦秋を楽しんでいきたいものですね!

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    1. ローリングウエストさん、おはようございます。
      コメント有難うございました。
      3年前は小秀山登山の時だったでしょうか、
      確か寝覚ノ床と一緒に歩かれていましたね。
      昨日は天気も良かったので遠出をして来ましたが、
      少し紅葉も始まっていて楽しみが増えました。
      一雨毎に色濃くなる季節なのでまた晴れたら紅葉狩りにでもと思っています。
      寒暖の差が激しいので体調の変化には気を付けたいですね。

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  2. 断崖絶壁に沿って道をつける そうなると梯にならざるを得ませんね
    よく工夫したものだと感心します

    峻険な山が聳え立つこの地では 昔から通行に苦労された事でしょう
    そして これを何とかと思い始めた人がいて やがてこの梯になったのですね
    見事なものだと感嘆いたします

    石垣は1741年当時のものですか!!
    美しいと思いました
    きっちり積まれた石は天然のもので地道に切り出して積んでいったのですね
    数学の知識が入りますね
    素晴らしいと思いました

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    1. れんげそうさん、おはようございます。
      コメント有難うございました。
      岩盤ならトンネルに・・・と思いがちですが、
      この辺りは寝覚ノ床に見るように硬い花崗岩なので掘ることが出来なかったのでしょうね。
      柔らかかったら当時でも青の同門など掘ることが出来ましたからね。

      棧を造ることによっての往来、本当に上手く工夫したものと思います。
      そう言えばこの道、あの皇女和宮が江戸へ降る際にも通られたのですね。
      遠い昔が想われます。

      コンクリートの棧の下に見える石垣は現代のものとも思えますが、
      昔のままの一部を残したようです、。
      先人の知恵と苦労の跡が感慨を呼び起こしますね。

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  3. 木曽の棧とは、絶壁沿いに掛けられた橋の事なんですね。
    珍しい物を見せて頂きました。
    私の実家は温泉地で、
    私が子供の頃は川を挟んでつり橋が掛けられていました。
    橋を渡る時に、左右にユサユサ揺れて怖かった思い出があります。
    今は、立派な橋が掛けられているので、恐くないです。
    でも懐かしい思い出です。

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    1. 雪うさぎさん、おはようございます。
      コメント有難うございました。
      現在は橋梁工事もあちこちでなされていて、
      トンネルと共に交通の便利が良くなりましたが、
      昔は川の水も太くて河川に沿った道は敬遠されて峠越えの街道が主流でした。
      特に危険な水辺を歩危(ほき)などと呼んで、今でもそんな地名が残っているほどです。
      このように桟橋を架けて通るのは珍しいことだったのかも知れませんね。

      吊り橋、この前同じ木曽の阿寺渓谷へ行った時に渡りましたよ。
      ゆらゆら揺れてちょっと楽しい気分でした (~o~)

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  4. 木曾の架け橋・・・ではなく、桟・・・なんですね。
    初めて見聞きしたものです。
    大昔の人はいろんな工夫をしていたのですね。
    それも人力・・・気が遠くなるような時間がかかっただろうと…

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    1. ばんばさん、おはようございます。
      コメント有難うございました。
      この棧に近い所に真っ赤な橋があるのでそちらと勘違いする人もいるようですが、
      木曽の棧は看板の絵のように崖に造られた桟橋を言います。
      飛騨にも同じような地形はありますが、
      そんな場所は通るのを避けて峠越えのルートが造られていました。
      棧造り、当時は人力での作業が大変だったので遠回りの道を選んだのですね。

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