2021年2月28日日曜日

牡蠣とおり菜の炒め物

アブラナ科の植物で食用になるものを広く菜の花と呼びますね。

一般に菜花と言われますが地方によって色々あり、

壬生菜、野沢菜、広島菜、高菜など品種改良されたものが名産となっています。

一方飛騨では「おり菜」と言うのがあり、茎が太くて柔らかいのが特徴です。

先日、無人市場で売っているのを見付けて買って来ました。

何時も定番としておひたしにするのですが、

今回はバーベキューにでもしようと思っていた殻付きの牡蠣があったのでそれと合わせて炒め物にしました。


甘くて柔らかなおり菜と牡蠣の旨味がマッチしてとても美味しい一品になりました。

これは癖になりそう~


一応忘備録としてレシピを載せておきます。



 材料 (2人分)


牡蠣  10個 (今回は殻付きを使いました)

酒 (分量外) 大さじ 1

おり菜(菜花)  1束

ニンニク   1かけ

醤油   小さじ 1

酒    大さじ1.5

オイスターソース  大さじ 1

片栗粉   適量

サラダ油  適量



↑ 主な材料 (調味料は合わせておきます)



↑ 牡蠣は殻付きなのでフライパンで蒸し焼きにして身を取り出します



↑ ざく切りにしたおり菜と牡蠣



↑ 日本酒を振ってしばらく置いた牡蠣に片栗粉を塗してサラダ油で焼きます



↑ 牡蠣を別皿に移して油を足せており菜も炒めます



↑ 牡蠣を戻して調味料を加えしばらく炒めます



↑ 皿に盛り付けて出来上がり



2021年2月27日土曜日

ねこやなぎ

早春の日差しに輝くねこやなぎを見るのは良いものです。

冬の間は硬く覆われていた鬼皮が開いて猫の体毛のような肌触りの花穂、

何だか優しさを感じますね。

まだ花粉を飛ばすには早く、もう少し温かくなるのをじっと待っている姿がいじらしいです。







2021年2月26日金曜日

何時もの風景 (朝霧)

 以前の四季彩日記からの定点観察の「何時もの風景」です。

この場所からは乗鞍岳が見えるのですがこの日は朝霧が掛かっていて薄くぼんやりと見られる程度でした。

路肩にはまだ雪が残っていますが良い天気が続くと徐々に消えて行きます。


三寒四温が嬉しい季節となりました。








2021年2月25日木曜日

早春の白川郷 3

今回の白川郷シリーズの最後の記事です。


時々この白川郷へは訪れているのですが、

最近気付いたことに、昔に比べ合掌造りの屋根が新しく葺き替えられた家が多いことがあります。

世界遺産に指定されて幾らかの補助がなされているのでしょうか、

一軒の屋根を葺き替えるのに集落総出で行われているほどに費用も嵩み、

家主の負担は大きいと思います。


この素晴らしい文化遺産を後世に引き継ぐためにも手厚い補助が必要ですね。


 ※ 画像の最後に動画がありますのでご覧下さい。

















2021年2月24日水曜日

早春の白川郷 2

 世界遺産の白川郷は冬も人気があるようでツアーバスなどたくさんの観光客が訪れるのですが、

昨年からのコロナ禍で、特に外国人のお客が少なく賑わいを知る者としては少し寂しく感じました。

それでも写真や動画を撮る者としては安心して撮影出来たので良かったです。

昨年は雪が少なく雪深い風景も見られませんでしたが、

今年は白川郷らしく除雪の山があちこちに見られました。

それでも天気が良く、気温が上がったこの日は春の光が眩しく、

春が顔を覗かせたように感じました。            ・・・更に続きます。





















2021年2月23日火曜日

早春の白川郷 1

県外への移動が制限される緊急事態宣言、まだ解除の見通しは無く行ける範囲は限られています。

ただ岐阜県内には見所がたくさんあって、行き先には事欠きません。

そんな中で今回は同じ飛騨の白川郷に行って来ました。

たくさんの合掌造りが並ぶ冬の景観もまた良いものです。


高山市内から車で1時間も掛からないで到着ですから近くて年に何度も行きたい場所ですが、

駐車料金が高く、自家用車で行く場合は負担も大きいです。

ただ、駐車場の近くに店を利用すれば駐車が無料と言う所があり、

今回はそこで昼食を食べました。

1200円の蕎麦を食べたのですが、駐車料金無料で2時間ほど置かせてもらいました。    

随分得をした気分です。               ・・・続きます。












2021年2月22日月曜日

帰雲山

 天正13年と言いますから戦国時代のことですが、

大地震によって山が崩落し、麓にあった城下町を一瞬にして飲み込んでしまいました。

この白川村一帯は昔、金鉱脈が発見されてからは山奥であるにも関わらず栄えていたようで、

城下町も小さいとは言え纏まった町だったようです。


その日、村を出ていた者は数人で、その人たちは命を落とすことが無かったのですが、

町に居た者は全て亡くなってしまったとのこと、

当時のままの状態で現在に至っているので、

足元深くにはお城や城下町も眠ったままと言うことになりますね。


世界遺産の合掌造りからそんなに遠くない地にあります。


 ※ 画像の最後に動画がありますのでご覧下さい。