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2024年6月23日日曜日

篠原無然遭難の地と安房峠

 高校生の時に英語の教師から「飛騨青年の叫び」と言う歌を習いました。

歌詞は「♪あゝ偉(い)なるかな飛騨の山 あゝ美(び)なるかな飛騨の渓(たに) あゝ清きかな飛騨の水・・・」

と言うものですが、

この歌を作ったのは(大正3年)当時の上宝村に赴任していた教師の篠原無然でした。


篠原無然は兵庫県に生まれた人ですが、縁あって飛騨上宝の地に代用教員として赴き、

教鞭の傍ら地区の青年教育に取り組み、飛騨工女たち待遇改善にも尽力された他、

乗鞍の登山道の整備や姫ヶ原、土俵ヶ原、桔梗ヶ原などの命名など多くの功績を残しておられます。


師は1923年(大正12年)の9月に関東大震災の救援に上京後、大阪へ転職されるも、

翌1924年(大正13年)には再度飛騨へ帰ろうと東京からの帰途の途中に雪の安房峠で遭難死されました。

行年36歳だったとのことです。

その場所は安房峠の西側の中腹の平湯が見える地で、石碑が建てられています。


安房峠も現在は安房トンネルが開通しており夏季にしか通ることはありませんが、

無然はその変遷の様子もこの地で見守っていることでしょう。

前出の「飛騨青年の叫び」を私は今でも全歌詞歌えるほど当時の高校生活と共に鮮明に頭に残っています。


※ 画像の最後に動画もありますのでご覧ください。
















2024年6月3日月曜日

雨上がりの大岩山日石寺

 飛騨からでも昔は良く参拝に行った富山の大岩山日石寺、

「大岩の不動様」と呼ばれ親しんでいるお寺です。

最近はあまり聞きませんが、「大岩の不動様を参りに行って来た」と、

お年寄りから良く聞きました。


今のように車社会では無い昔は鉄道やバスを乗り継いでのお参りで大変だったでしょう。

しかしの反面、子供の遠足のような愉しみもあったことと思います。


私は今回初めて参拝したのですが、

私が生まれる前、父母も出掛けたお寺にその当時を想い馳せました。


※ 画像の最後に動画もありますのでご覧ください。





















2024年4月24日水曜日

ドライブイン形式の食堂SS贄川店が休業に・・・ 

 国道19号線の長野県塩尻市贄川にある食堂SSは昔ながらのドライブイン形式の食堂で、

長距離トラックの運転手にも御用達の店として良く知られています。

私ももう50年近く前から時々お世話になっていたのですが、最近は立ち寄ることも無くなっていました。

それが今年の3月に急に煮付けの鯖が食べたくなって訪れたのですが、

生憎、定休日の月曜だったのでお休み!


リベンジを・・・と考えていた折に4月28日で休業に入るとの旨を知らされて、居ても立っても居られず先日行ってみました。


確かにお店には休業に入ることを知らしめる張り紙などがあり、

そのためか名残惜しいお客が殺到していて結構混んでいました。

お昼過ぎだったので並ぶほどでは無かったですが、

座ることが出来たものの注文した食事が運ばれたのは1時間近く経ってからでした。


この食堂で何時も食べていたのは普通定食だったので今回も同じものを注文しようか迷いました。

普通とは味噌汁が普通なので「普通定食}、豚汁の場合は「豚汁定食」、なめこの味噌汁は「なめこ汁定食」、

納豆汁なら「納豆汁定食」と言う訳で味噌汁によって名前が違いますが、

どれにも鯖の甘辛く炊いた煮付けが付きます。

その煮付けは絶品で、一度食べたら癖になる味です。

結局、最後だからとちょっと奮発して今回は豚汁定食にしました。

それでも770円の安さです。


メニューは他にもたくさんあり、壁一面に張られたメニュー表には凡そ何でも有りと思えるほどたくさんの品数があります。

これだけのメニューを維持するには並大抵なことでは・・・と感心させられます。

でももう間もなくこれらが食べられなくなるかと思うと一抹の寂しさがこみ上げて来ます。

「休業」と記されていますが、どうも廃業を匂わせるような感じがしました。

こうしてまた一つ昭和の時代が遠くなるのですね。


※ 画像の最後に動画がありますのでご覧下さい。



















2024年4月5日金曜日

杉玉鉄砲

 杉花粉が飛ぶ頃になると昔、子供の頃に作って飛ばした杉玉鉄砲を思い出します。

今や花粉を撒き散らかそうかと思うほど大きい粒となった杉の雄花と細い竹を採って来て工作するのです。

杉玉鉄砲は紙鉄砲の要領ですが、懐かしくて作ってみました。


丸めた紙の代わりの杉玉のパンパンに膨らんだ雄花は油分も含んでいて、

それが弾として筒の内部の気密性を保つので良く飛びます。


「飛ばす時は勢い良く「パチン!」と音がするのも快感です。

授業中なんかに前の児童の頭めがけて・・・なんてことも良くやりました。

今思えばいけない子でしたね。

それでもそれがブームとなって春の一時、子供の間で暫しの流行りとなりました。


口に含んだ杉の玉、その効能でしょうか、今だに花粉症の症状はありません。

免疫が出来ているのかも?







2024年2月10日土曜日

文衛門坂のト一精肉店

 安川から空町への上り坂を文衛門坂(ぶんねもんざか)と高山の人は呼んでいます。

その坂の途中に昔は精肉店があり、その名は「ト一(といち)」、ちょうど映画館”京極大映”へ入る路の反対側でした。


この肉屋では牛、豚などの精肉はもちろんですが、店内で揚げたコロッケやミンチカツなども売っていて、

何時も店の前を通ると美味しそうな匂いが漂っていました。

油はサラダ油では無く動物質のコクのある香りだったのでおそらくラードを使っていたと思います。

通学路では無かったので買い食いはしませんでしたが、子供の頃はお使いに行かされました。

成人してからも思い出したように買って食べたものです。


しかし昭和のうちに廃業されて今その店はありません。

1個80円のカレーコロッケ、120円のミンチカツ、どちらも懐かしく思い出します。