高山市高根町の乗鞍の麓に子ノ原高原があり、
昔は牧場として放牧されていましたが、
今はキャンプ場や別荘地となっています。
高原一帯にはたくさんのレンゲツツジが咲きとても風光明媚な所です。
少し見頃が過ぎていましたがまだ見られる株もあったので、
その辺りを中心に撮って来ました。
ここからも乗鞍と御嶽の両方が観られます。
※ 画像の最後の動画もご覧下さい。
ご訪問有り難うございます 飛騨からの発信のブログです 四季折々の話題などを載せたいと思います 過去ブログは右の「Myブログ(過去の四季彩日記)」の欄よりご覧下さい 2003年から綴っています
高山市高根町の乗鞍の麓に子ノ原高原があり、
昔は牧場として放牧されていましたが、
今はキャンプ場や別荘地となっています。
高原一帯にはたくさんのレンゲツツジが咲きとても風光明媚な所です。
少し見頃が過ぎていましたがまだ見られる株もあったので、
その辺りを中心に撮って来ました。
ここからも乗鞍と御嶽の両方が観られます。
※ 画像の最後の動画もご覧下さい。
自然豊かな木地屋渓谷も梅雨時は渓の水量が多いので流れも迫力を感じます。
もう少し暑くなると水遊びに家族連れがやって来て賑わいそうですが、
まだ少し水が冷たいですね。
流れに魚の影を見かけました。
自分では水の中に入れないので確認に水中カメラを沈めてみました。
少しだけ岩魚の姿が見られるのですが・・・
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ハバチの仲間も種類が多いので同定には苦労しますが、
このゾムボリハバチは背中が広く黒褐色で縁に黄緑の紋があるので見ると記憶に残る種です。
以前にも一度見たことがあり、その時に名前を覚えました。
何でも本州中部の山地、特に雪の多い日本海側に近い地域に棲む比較的珍しい種類とのことです。
今回山歩きの途中に出会ったのですが、フキバッタを捕まえてムシャムシャと食事の最中でした。
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秋に鷹の渡りが見られる有名な白樺峠、
以前は有料道路のスーパー林道として長野県林業公社が管理していましたが、今では無料化されています。
しかし有料の時より車の往来が少ないのは意外でした。
峠からは乗鞍岳の眺望が利き、麓の乗鞍高原を見下ろす風景は圧巻です。
しかし今回はそれより貴重なのもを見付けることが出来ました。
最後の画像の花、タガソデソウですが、本州中部の僅かなエリアだけに見られるもののようです。
今まで何度も行っていた場所ですが季節が合わなかったのですね~
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私が山うどを採りに行くのは普通5月下旬か6月上旬ですが、
6月も下旬になって背丈ほどに伸びてしまった頃、
山路の一角にまだ出始めの株がありました。
林道の脇を重機で浚えてその土砂をつくねた場所です。
1mほどの高さの小山の中から芽吹いて来たのでしょう、
ちょうど食べ頃で立派なのが10本ほど・・・良い収穫になりました。
生命力の強さに改めてビックリ!食べることでその力をも頂きたいです。
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今年は特に熊の目撃が多く山菜採りの人が襲われたと言う話もあり、熊のニュースには敏感になりますね。
そんなこともあるのでしょう、ユーチューブに動画をアップしたら1日で800回以上の閲覧数がありました。
山菜やきのこを採りに山へ入る私ですから過去に熊と遭遇したことは何度もあります。
時には自分より大きな熊に目の前で立ち上がられたこともありました。
私以外でも最近では特に熊の目撃も増えているように思います。
昔と違って猟師の減少や、それより深刻なのが山奥の自然環境の変遷が原因しているようで、
元々の野生動物の住処を奪われた熊の方にとっては重大なこと、
里へと餌を求めて降りるのは当然なことと思います。
そんな訳からでしょう、年々熊とのニアミスは増えるばかりです。
さてこの日は林道を車で走行中、1時間足らずの間に3度遭遇しました。
最初は後ろにトラックが付いていたので急ブレーキは踏めず、
気付いた熊は一気にコンクリートの擁壁を登って行ったので動画の撮影も儘なりません。
上に登って好物の笹の子を食べていたところを写すのが精一杯でした。
2回目は親子の熊で、これも先に気付かれて茂みに逃げ込まれてしまいましたが、
その後再び道路に出て来たので何とかシャッターチャンスがありました。
そして3回目は成獣と見られる雄で、こちらは堂々と私の方を見ていました。
にらめっこが続いた後でようやく踵を返して先へ進み茂みへと隠れました。
近くには真新しい糞までも・・・
珍しく無い飛騨の熊ですが、それにしてもこれだけ出遭うと私にとっても今年が一番多い年になりそうです。
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高山市高根町日和田は山奥の集落で峠の向こうは長野県の開田です。
そんな山村に似つかわしくないお屋敷があります。
木曽馬を肥育していた農家の元締めで”馬大尽”と呼ばれていた原家です。
私は若い頃何度も訪れたことがありましたが、最近は住む人も居なくなって荒れ果ててしまったので遠ざかっていました。
当時は家の中にも入れて頂いてお座敷の傘天井も見せて頂きました。
主は兄妹で住んで居られてとても良い方でした。
今回久し振りに訪ねましたが、もう既に母屋は崩れ果てて廃材が少し残っている程度、
ただ門と塀、それに最後まで住んで居られた居室だけは何とか残されていました。
その姿を見て脳裏には当時の様子が思い浮かびましたが、反面寂しさもこみ上げて来ました。
木造の建物は朽ち果てても玄関先の靴脱ぎ石と塀に続いて並んでいる石仏はこれから先も今の姿で残って行くことでしょう。
※ 画像の最後にある動画もご覧下さい。