2023年6月24日土曜日

荒廃する馬大尽原家屋敷

 高山市高根町日和田は山奥の集落で峠の向こうは長野県の開田です。

そんな山村に似つかわしくないお屋敷があります。

木曽馬を肥育していた農家の元締めで”馬大尽”と呼ばれていた原家です。


私は若い頃何度も訪れたことがありましたが、最近は住む人も居なくなって荒れ果ててしまったので遠ざかっていました。

当時は家の中にも入れて頂いてお座敷の傘天井も見せて頂きました。

主は兄妹で住んで居られてとても良い方でした。


今回久し振りに訪ねましたが、もう既に母屋は崩れ果てて廃材が少し残っている程度、

ただ門と塀、それに最後まで住んで居られた居室だけは何とか残されていました。

その姿を見て脳裏には当時の様子が思い浮かびましたが、反面寂しさもこみ上げて来ました。


木造の建物は朽ち果てても玄関先の靴脱ぎ石と塀に続いて並んでいる石仏はこれから先も今の姿で残って行くことでしょう。


※ 画像の最後にある動画もご覧下さい。






















6 件のコメント:

  1. 反映していた時代には、
    どんなにか立派なお屋敷だったでしょうね。
    想像がつきます。
    広い敷地に、素晴らしい建物が、崩れていく様子は
    栄枯盛衰というよりは、本当に悲しい思いになります。

    馬に、大日如来さまの姿の、、1903年とは、
    なんだかまだ最近のことのような気がします、
    というのも遅くに生まれた主人の、
    その母は1903年生まれなので、一緒に生活してきた私には
    ちょっと近心感が湧きました^^

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    1. rabbitjumpさん、おはようございます。
      コメント有難うございました。
      原家の勢力、当時は強くて木曽の方まで馬小作が居たようです。
      一日に出入りする商人の数も多くて絶えず賑わっていたとか聞きました。
      しかし有力者になるに従って育った子供たちは東京に出て故郷に帰ることが無く、
      跡継ぎも居なくなってしまいました。
      主有っての家の繁栄と言うことを感じさせますね。

      1903年は明治39年ですから日本の産業が目まぐるしく発展していた頃ですね。
      生糸の生産で世界と肩を並べるようになったのもこの頃です。
      何かに付けて勢いが感じられた時代でした。
      昭和の時代に「明治は遠くなりにけり」と言われたものですが、
      今は大正末期から100年、時代も変わって来ましたね。

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  2. 廃家と名の寂しい響きが伝わります
    もう少し・と願わざる負えないですが
    やはり、色々な諸事情があるのでしょうか

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    1. zakkkanさん、おはようございます。
      コメント有難うございました。
      今や田舎の家の多くは朽ち果てる運命にあります。
      飛騨も山奥に限らず壊れた家が目立つようになりました。
      町の真ん中でさえ空き家も増えました。
      少子化ですからこれから段々酷くなるでしょうね。

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  3. こんにちわ
    寂しいですが、荒れていますね。此方も空き家が増えました。
    新築の家も多いけど空き家は目立ちます。
    時代の流れですか?
    少子化の影響もありますか?

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    1. 匿名さん、おはようございます。
      コメント有難うございました。
      ここ50年ほどで大きく日本人の生活の形態が変わりましたね。
      廃屋は全国的に増えています。
      少子化が特に大きな原因でしょうけど、子供が都会へ行ってしまうことも重要な問題です。
      お金が一番の世の中なので先ずは仕事優先で、どうしても職の無い地方は見捨てられます。
      小さな家の空き家でも心痛みますが、文化財クラスのお屋敷は見るに偲びません。
      日本人が築いて来た古来からの文化が朽ち果てるのは悲しいですね。

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