飛騨にも昔は大小様々な街道がありました。
大和朝廷の時代には奈良への飛騨街道が、
そして江戸時代には野麦峠を経由する江戸街道、
更には富山から鰤うぃ運ぶ東街道や西街道などが主だった路ですが、
近くを結ぶ村から町への峠道なども重要な存在でした。
今日取り上げるのは、高山の隣の久々野の大西からの峠越えの道です。
現在はどちらも高山市ですが昔は高山町と大野郡久々野郷を最短で結んでいました。
高山の二十四日市にはこの辺りで作られるしょうけ(竹で編んだザル)を売るためにも荷車で通らなくてはいけないため、
地域の人には無くてはならない路だったと言えます。
※ 画像の最後の動画もご覧下さい。