2023年8月31日木曜日

峠越えの道しるべ 大洞谷道標

飛騨にも昔は大小様々な街道がありました。

大和朝廷の時代には奈良への飛騨街道が、

そして江戸時代には野麦峠を経由する江戸街道、

更には富山から鰤うぃ運ぶ東街道や西街道などが主だった路ですが、

近くを結ぶ村から町への峠道なども重要な存在でした。


今日取り上げるのは、高山の隣の久々野の大西からの峠越えの道です。

現在はどちらも高山市ですが昔は高山町と大野郡久々野郷を最短で結んでいました。


高山の二十四日市にはこの辺りで作られるしょうけ(竹で編んだザル)を売るためにも荷車で通らなくてはいけないため、

地域の人には無くてはならない路だったと言えます。


※ 画像の最後の動画もご覧下さい。



↑ 赤丸の位置が道標のある場所で
青いルートが昔のものでオレンジがその後に付けられた新道です
どちらも一つの山(大西山)を越えます
現在は青いルートの右にトンネルで越える美女街道があり
車なら10分足らずで通り抜けられます












https://youtu.be/yofV5cINMNE

 

4 件のコメント:

  1. 飛騨街道、江戸街道、古よりず~っと、人々に愛されて来たのでしょうね。
    色んな思い出を道連れに、たくさんの人々が行き交った街道、
    ゆっくり歩いてみれば、当時の人々の面影を感じることが出来るのでは。
    美女街道、なんと素晴らしいネーミングです。
    どんな街道だったのでしょう、見たかったです。

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    1. 険しい峠道が多くて往来にも苦労したようです。
      物資を運ぶには荷車が通れる広さも必要だったので拓くのも大変だったでしょうね。
      美女街道の方は正式な江戸街道だったので結構人通りもあったようです。
      峠には美しい尼さんが住んでいたことから付けられた名前で、
      何時もミズバショウの花を記事にする美女ヶ池を通ります。
      以前、動画を作っているのでまた記事にしますね。

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  2. 道標
    この標識だけを、手掛かりに・歩かれたのでしょうね

    ここは、涼しそうですね( ´艸`)
    8月も終わりますが、夏が終わらない、不思議な2023年です

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    1. zakkkanさん、おはようございます。
      コメント有難うございました。
      昔の街道の辻にはこうした道しるべとお地蔵様があり、
      夜には灯篭に火が灯されていたようですね。
      今のように街灯など無い時代ですから心細かったと思います。

      今日から9月、季節は進んでいるようですが、
      まだまだ日中は暑いです。
      最近の9月は秋ではないですね。

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