映画”あゞ野麦峠”で一躍有名となった野麦峠、
2年前に起きた道路の崩落のため通行止めとなっていましたが、
今年は春から通れるようになったので行って来ました。
麓の新緑と比べるとまだ芽吹いたばかりですが、乗鞍の残雪の様子が春を感じさせます。
お助け小屋も営業を始めており、観光客も次から次へと訪れる様子で、
今年は夏に掛けて賑わいそうです。
飛騨から信州への出稼ぎの娘が越えた険しい山道、
特に年末年始の峠越えは難儀だったことでしょう。
病に倒れて兄に背負われて故郷に帰る途中にこの峠で息絶えた政井みねの像、
哀話は永く語り継がれるでしょうね。
※ 画像の最後に動画がありますので宜しかったらご覧下さい。
↑ 野麦峠から見る乗鞍岳
↑ 野麦峠
↑ 峠の茶店 お助け小屋
↑ 政井みねの像
↑ 政井みねの碑
野麦峠のことは女工さんの哀しいお話も含めて正直よく知らないのです。
返信削除でも、野麦峠というとなぜか物悲しい響きがします。
ばんばさん、おはようございます。
削除コメント有難うございました。
信州へ出稼ぎに行った飛騨の若い娘は主に古川や河合、宮川などが多かったようです。
長い道のりを歩くのは大変なことで特に冬の野麦峠越えは辛かったろうと思います。
峠で出産したり病気で亡くなったりと悲劇も生んだ峠ですが、
野麦の意味の熊笹の実が目に浮かぶと、より寂しくも感じます。
今は車で一越えですが、歩くのはやはり大変だったでしょう。
ああ 飛騨が見える・・・・
返信削除映画で女工たちのことを知って 本を求めました
昔の飛騨の景色や家が載っていて こんなのだったのかと驚いたことや女工さんだった女性が それでも楽しそうに工場の糸引きのことを話すのを読んで
若いと言う事はこんなにも純粋で朗らかであったのかと 自分のことも含めて思った次第です
絹で発展した我が国ですから この糸で戦艦も整えたのでしょうね
おっしゃるように歩くとなると本当に大変な道だったことだろうと思います
乗鞍は全て見てきたんですね 感傷的すぎかもかもと思いながら 笑
れんげそうさん、こんばんは。
削除コメント有難うございました。
私も映画を観て本も買いました。
本は何度も読み返しましたが、覚えていないシーンもあるのです。
認知証の始まりかも知れませんね。
”野麦峠”の時代背景が明治から昭和の初めで、
まさに日本が大きく変わろうとしていた時ですね。
出稼ぎの彼女たちが影で支えていたことも大きいですね。
今は廃れてしまいましたが野麦峠から乗鞍へ登る登山道もありました。
それだけ乗鞍と野麦峠は近い存在なのです。
きっと間近で見ていたことでしょう。
私も存じております あゝ野麦峠・・本当に生きることの大変さが
返信削除よく出ていると思います。 実家に帰るときの気持ちがどんなだった
のかと思うと泣きたくなります。
ugo1060さん、おはようございます。
削除コメント有難うございました。
格差があると言っても今は昔と違い皆がある程度の文化的な生活が出来ますが、
昔は貧しいどん底の人も多く、出稼ぎに行かなくては生活が出来ない程だったようですね。
そんな中で若い娘が一家の中心となって他県へ働きに出るのは大変だったろうと思います。
正月の帰郷の際には心躍る思いでこの峠を越えたのでしょうね。