前に武田信玄が築いた松代城の記事を揚げましたが、
今回は戦いがあった川中島です。
千曲川と犀川の合流点近くの狭間にあるので川中島と名が付いている平地で、
戦いは辺り一帯で繰り広げられたと思いますが、
今の公園となっている所には戦死者を弔う首塚があります。
遠い昔のことですが、訪れると当時の様子が垣間見られる感じです。
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ご訪問有り難うございます 飛騨からの発信のブログです 四季折々の話題などを載せたいと思います 過去ブログは右の「Myブログ(過去の四季彩日記)」の欄よりご覧下さい 2003年から綴っています
前に武田信玄が築いた松代城の記事を揚げましたが、
今回は戦いがあった川中島です。
千曲川と犀川の合流点近くの狭間にあるので川中島と名が付いている平地で、
戦いは辺り一帯で繰り広げられたと思いますが、
今の公園となっている所には戦死者を弔う首塚があります。
遠い昔のことですが、訪れると当時の様子が垣間見られる感じです。
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高山市内の紅葉はピークを過ぎつつありますが、
国分寺の大銀杏はまだ完全に黄葉はしていなくて緑の部分が多いです。
それでも先に色付いた葉から散り掛けており、その辺りも今年の気候の異常さが解ります。
何時もなら少しずつ色付いて黄色くなったら一斉に葉を落とすのですが、
これでは昔から言うところの「一斉に葉を落とすと大雪になる」と言うジンクスが薄れそうです。
大雪になるか否か、今年はカメムシも久し振りに多い気がします。
ちなみに我が家で一昨年と昨年は数匹しか見当たりませんでしたが、今年はもう50匹は見ました。
多かった年は積雪量が少なかったので今年も雪が少ないかも?
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SNSでも情報が有り溢れているトレッキングスポットが各地にあり、
それを見ると一度は行ってみたい気持ちになります。
この鏡池もそんな場所の一つでしたが今回は行くことが出来ました。
長野市の戸隠高原にあり、山道をかなり登った所にある鏡池、
名前通りに澄んだ水面には戸隠の連山が映り込んでとても気持ちの良い眺めでした。
紅葉には少し時期が遅かったですが、まだ美しい木々もあり満喫出来ました。
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長野県菅平にある唐沢の滝です。
落差が15m程でコンパクトではありますが、幅が10mと広いため均整の取れた姿の滝です。
太古の昔に起きた四阿山の噴火によって溶岩が川を堰き止められて出来たとのことですが、
岩盤の色からして溶岩と判るためそれを物語っているように見えます。
国道端から直ぐの場所にあるので訪れる人も多かったです。
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”志゛(じ)まん焼き”はいわゆる大判焼きとか太鼓焼き、今川焼きなどと呼ばれるソウルフードで丸い形のカステラまんじゅうタイプで、
長野県上田市の富士アイスでは”志゛(じ)まん焼き”の名で売られており、
中は粒餡とカスタードクリームの2種類があります。
お店は何時も賑わっていて時間によっては行列も出来ます。
この日も数組が並んでいて少し待ちましたが無事に買うことが出来ました。
暫く前までは1個90円だったのですが100円に値上がりしていましたが、
昨今の物価高では仕方がないことですね。
買ったのは餡子とカスタードクリームそれぞれ5個ずつでした。
10個になると箱に入れてもらえます。
ずっしりと重くて、中の餡子の量も半端なく多かったです。
しかしこの店の名前は”富士アイス”なのにアイスクリームは見当たらなかったです。
不思議・・・
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その気で見てみなくては認められない空の現象の天頂アークはお昼前後の太陽の下方に現れます。
彩雲とも違って横に長い虹色の帯は時々長く伸びることもありますが、
この日は短く、色もやや薄いものでした。
現れる日は空が澄んでいて上空の気温が低く、薄い上層の雲がある時に限るので、
そのような条件が重なると珍しいものではありません。
他にタンジェントアークとか幻日とか良く似た現象も観られることがありますが、
発見すると嬉しいものですね。
(写真は確認しやすいように強調処理をしています)
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https://youtu.be/eD9Yvy2tLU8
戦国の世に起きた川中島の戦いは良く知られた史実ですが、
その時、武田勢の拠点となったのがこの松代城で別名を海津城とも呼ばれています。
千曲川の流を外堀に引いたことから「海津」の名が付いたようです。
この城もご多分に漏れず明治の廃城で建物は壊されてしまいましたが、
しっかり組まれた石垣はそのまま残されています。
最近になって復元の動きが出て来たようであちこち新しい建物が造られています。
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